久しぶりの平日のお休み。
江戸東京博物館のダヴィンチ展に行ってきました。
いつも思うことですが、
日本のシニア層は、どれだけ展覧会や美術展が好きなんでしょう…。
平日の昼間なのに、チケット購入するにも長蛇の列が…。
そういえば母も、父やお友達とありとあらゆる展覧会や絵画展に行っていました。
ふだんは美術とも、歴史とも無縁なのにも関わらず。
まあそんな親に育てられていますから、
私も大きなことは言えないというのが現実ですが。
イタリアにいた頃、そしてイタリアに旅行で行く度に、小さな街の美術館から
ローマやフィレンツェ、ナポリなどの
大きな美術館まで、訪れる街々で足を運びました。
そんな中、ローマの邸宅美術館・ボルゲーゼでカラヴァッジョを見た時に感じた思い。
あるべきところにある絵は、
日本で行われた美術展で観たものとはまた違う存在感を発揮し輝くのだと…。
それはその絵が描かれた背景や文化を感じつつ鑑賞するからなのでしょうか。
でも、日本で観られるとわかればやはり行きたくなってしまうのが人情というもの。
そいうえば3月には国立西洋美術館でカラヴァッジョ展もはじまります。
東京都美術館で開催中のボッティチェリ展、
森美術館のフェルメールと合わせて、
欧州の名だたる画家の作品が東京にいながら見られることに。
ほんと、こういうところは「東京に住んでいてよかった」としみじみ思うところです。
ダヴィンチは絵画や彫刻だけでなく
舞台装置の設計、解剖学、地質学、建築学、都市計画とさまざまな分野で活躍した多彩な人です。
絵を描くために人体の構造を学ぶ、それも解剖までして。
その発想はダヴィンチ以前の人にはなかったと、
以前通った「イタリア美術講座」で教わった気がします。
天才がその天賦の才と深いまなざし描いた「糸巻きの聖母」は、
内側から訴えかけてくるような、静かだけれど雄弁な一枚でした。
でも、並んで並んでやっとお目にかかるのは一瞬、といういつもの東京の美術鑑賞形式…。
もう少しゆっくりと味わいたかったというのが本音です。
ダヴィンチのもの以外の作品は…何も言うまい。
展覧会後は、川べりを歩いて浅草を目指しました。
ほんとうにうららかな春のような日で。
これがまさに「春のうららの隅田川♪」。
浅草では「亀十」のどら焼きを購入しようと思ったのですが、売り切れでした、残念。
街には、制服を着た修学旅行生がたくさん。
その話声を聞くと、中国語でした。
さらにはメキシコからの修学旅行生と思しき集団も。
ダヴィンチの生きた時代から約60年後、
日本の天正少年使節団が、ローマやフィレンツェを訪れています。
何カ月も船に乗って、命の危険と引き換えに辿り着いた欧州。
彼らの目には西欧社会はどう映ったのか?
なんて考えてしまいました。
飛行機という交通手段で、半日の移動でまったく違う文化に出会える現代。
さらに、情報は距離を越えて瞬く間に伝わります。
遠くから来た海外の若者の目には
日本はどう映るのかな?
良さを感じてもらえるような国でありたいとは思いますが、
恥ずかしいことばかり起きている気がします。